6歳の私を治したのは、温泉だった~温泉・三之丞の大岩風呂が教えてくれた、本物の湯の正体

小学校に上がる前の春のことだ。友だちの間でなぜか、小さくてカラフルなカッターで鉛筆を削ることが流行っていた。不格好でも、自分で削った鉛筆には妙な満足感があった。

その日も鉛筆を削っていたら、ふいに刃が滑った。左親指の爪に当たり、爪の半分が根元からめくれ上がり、肉が見えていた。血がボタボタと滴った。

咄嗟に思ったのは、痛い、ではなかった。

まずい。親にバレる。

私はティッシュを傷口にぐるぐる巻きにして、左手を隠しながらご飯を食べた。でも、そんなものは見つかる。母に連れられて整形外科へ行き、包帯をグルグル巻かれ、ゴム製の指サックをはめられた。

「濡らさないように。入浴中は左手を上げて」

医師からの指示を守り、それから毎日、片手を上げたまま風呂に入った。通院のたびに包帯を外すと、爪の上半分はなく、そこからは膿が出ていた。薬を塗られ、また包帯と指サック。一週間経っても、状態はほとんど変わらなかった。

春休みに入ったころ、私はいつものように祖父母に連れられて山形へ向かった。

最上温泉郷・赤倉温泉にある湯治宿、三之丞。この年ですでに三度目の滞在だったが、幼い私に「湯治に来た」という感覚はまるでなかった。おじいちゃんおばあちゃんや従兄弟と遊びに来た。それだけだった。

館内への入り口の戸の先にもう一つ戸がある。雪深い土地ならではの造りを抜けると、広い土間と囲炉裏のスペースが広がる。幼い自分にはそこが巨大な広場に見えた。そして奥へ、奥へと吸い込まれていくような薄暗い廊下。いくつにも枝分かれし、階段がいくつも現れる。大人には不便に映るかもしれないその構造も、子どもには最高の冒険の舞台だった。「早く探検したい!」という気持ちを抑えるのに必死だったことを、今でも覚えている。

浴場へ向かうと、目の前に巨大な岩が現れる。三之丞といえば、この大岩風呂だ。岩をくり抜いた浴槽はプールのように広く、最深部は130センチある。足元からふつふつと湯が湧き出る、その「生まれたての湯」の本当の価値を私が知るのはこのすぐ後のことだ。この時の私はただ、泳ぎに来た気分で目を輝かせていたと思う。

私はいつものように、左手を高く上げて湯に入った。すると祖父が言った。

「お湯に付けていいから」

「何言ってるの、おじいちゃん。濡らしたらだめなんだから」

「大丈夫だから。温泉なんだから」

祖父の声はいつも通りやさしく静かだったが、迷いがなかった。私は恐る恐る、左手を湯の中に沈めた。

熱いのか、沁みるのか、心臓がバクバクした。痛みはなかった。

その夜、夕食のとき。ふと指を見て、私は目を疑った。

膿が、乾いていた。

あれだけ薬を塗り続けても治らなかったのに。痛みもない。爪はまだ生えていないけれど、何ともない。

翌日も、その翌日も、堂々と指を湯につけた。三日もしたら、もう何ともなかった。あとは爪が伸びるのを待つだけだった。

この傷を負うまで、私は三之丞に二度、湯治に来ていた。楽しかった記憶はある。でも温泉を「温泉」として意識したことはなかった。三度目のこの春、左親指のおかげで、私はここで初めて「温泉というものの正体」に出会ったのだ。

あれから何十年も経つ。温泉分析表を読み、泉質を比べ、湯の鮮度を確かめ続けてきた今でも、私の温泉への信頼の根っこにあるのは、あの春の体験だ。

祖父は何も難しいことを言わなかった。「温泉なんだから。」それだけだった。

本物の湯には、西洋医学では説明しきれない何かがある。それを6歳の私は、左親指で知った。

このサイトは、そういう湯を探し続けるための場所だ。

(三之丞での湯治生活の様子はこちら

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次